今、月だけが光源だ。
広い草原は本来の姿を現していて、白い雪は中央辺りのみになっている。
そこに誰が作ったのだろうか、不恰好な小さな雪だるまが佇んでいた。
雪だるまの下の部分が上の部分に、初めて問いかけた。
「おい、上。もう春の足音ってやつは聞こえるのか?」
上の部分は耳を済ませたが、特に足音っぽいものは聞こえない。
「下よ、何も聞こえないがどうした?」
「いや、俺達そ」
まだ下の部分が言い終わらないのに、上の部分が話しを遮る。
「あ、悪い。オレ、耳がついていないからそもそも何も聞こえないんだった」
「チッ。使えねーな。じゃあ何がついてんだよ?」
「人参の鼻だ」
「目は?」
「ない」
「チッ。手ぇ抜きやがって。誰だよ作った奴は」
「目も耳もないし鼻はあるが人参の匂いしかしないし、わからん」
「チッ。まあ、いいや。それよりよ、俺達そろそろ溶けるんだろ?」
「そうだな。意識を持ってから三ヶ月以上は経ったからそろそろだろう。その意識も前よりボンヤリとしいるからもう溶け始めているのかもしれん」
「チッ。雪のままなら意識を持つ必要もなかったってのによ」
「下よ、お前もしや怖いのか?」
やや間があった。
「上、お前は怖くないのかよ?」
「ああ。怖くない」
「チッ。即答かよ」
さっきよりも長い間があった。
「なあ、上。このまま溶けるのをただ待つより、何かした方がいいんじゃねーか?」
「何かとは?」
「動く、とか」
「どうやって?下よ、お前には手や足がついているのか?」
「いや、何もついてねーよ」
「ではどうしようもないではないか」
「チッ。せめてお前に口がついてればな。動物にでも頼んで押してもらえたのによ」
「押してもらってどうするんだ?」
「転がるにに決まってんだろ。転がって俺達は誕生したんだ。転がって消えていくってのが粋だろ」
「はは。下よ。お前は面白い奴だ。もっと早くにこうして意思疎通をすれば良かった」
「チッ。うるせー」
「しかし不思議だ」
「あ?」
「つい先ほどまで全く怖いなどと感じなかったというのにな」
「怖くなったのか?」
「そのようだ」
「この短時間で?」
「そうらしい。下よ、お前のせいだ」
「チッ。俺も黙っておけば良かったって後悔してるわ。上、お前のせいでな」
「そうか」
「そうだ」
それから上の部分と下の部分は他愛のないやり取りをし続けた。
やがて朝が訪れ太陽が空のてっぺんへと移動する。
家族で草原を訪れた男の子が立ち止まり、母親に声をかけた。
「ねえ、お母さん。今ね、ドサドサって音がしたよ?」
「え?」
母親はかがみ、男の子と視線を合わせる。
「春の足音かもしれないね」
「ふーん」
「さ、行きましょう」
手を引かれながら男の子が何気なく振り返ると、濡れた芝生の中央に萎びた人参がポツンと落ちていた。