コートを羽織り派出所を出たら白の軽自動車が止まり窓が開いた。
「ちょっと付き合ってくれない?」
ハンドルを握りそう誘ってきたのは幼なじみで俺の初恋の相手、雅子だ。
雅子はいち早く村を飛び出して玉の輿に乗り、そして離婚をして昨年帰って来た。今は役場で働いている。
「どうした?」
「うん、ちょっとね」
夕陽の逆光のせいで運転をする雅子の表情は見えにくい。
「越して来た川崎さん、知ってる?」
「ああ。大人しいおじさんだろ?巡回してる時に挨拶を交わす程度だけど」
うちの村は過疎化防止対策として、貧困層の家族や農業に関心のある若者をターゲットに空き家や畑を提供し移住して貰うとういうプロジェクトがある。雅子はその『移住推進課』の担当だ。
「清彦だから言うんだけど。川崎さん結婚してるのよ。生きていたら娘さんは五歳」
「亡くなったのか?」
「失踪よ。奥さんは育児ノイローゼだったらしく、生後間もない娘さんを連れて家出をしたらしいの」
「気の毒だな。諦めて心機一転この村に移住を決めたのか」
「私もそう思ってたわ」
「ん?」
もうすっかり暗くなり、灯りの点いている家もまばらになっている。この道の先にあるのは山だけだ。その麓に川崎さんが提供された家と畑がある。雅子はそこへ向かっているのだろう。
「私達ね、移住者のお宅に定期的に訪問するのよ。昼前、川崎さんの所へ行ったら聞こえたのよ……女の子の声が」
雅子の考えがわかった。
「奥さんと娘さんを監禁してるとでも?」
「だっておかしいでしょ?どうしてわざわざ一番人気のない寂しい場所を選んだの?それに清彦も覚えてるよね?あの家に住んでたおじいさんとおばあさん。おやつをくれたし、あの家に地下室がある事も……」
覚えている。手作り味噌なんかが貯蔵出来る広い地下室。
「事件性があるなら応援を呼ぶべきだ」
「もし勘違いだったら悪戯に傷つけるだけだし。警官の清彦が川崎さんを引き付けて私が地下室を確認すれば済むでしょ?ね、お願い」
……卑怯だ。その瞳で見つめるなよ。俺は観念してため息をついた。
古い玄関の呼び鈴を鳴らすとスウェット姿の川崎さんが出て来た。
「不審者情報があって見廻りをしています。敷地内を確認したいので立ち会って貰えますか?」
「は、はい」
戸惑い気味に川崎さんは玄関を閉めついて来る。俺は懐中電灯を照らし、庭を調べているフリをした。雅子がこっそりと中へ入って行くのが見えた。畑の方を照らしながらどうでもいい話題で川崎さんの気を逸らす。
「最近怪しい人物を見かけたりは?」
「いいえ。特に……」
穏やかに話すこの中年男が監禁だなんてありえないと考えた時、雅子の悲鳴が聞こえたのだ。咄嗟に玄関へ走る。
「待て!!」
背後で川崎さんが叫んだが構わずに引き戸を開ける。一瞬、思考が停止した。目の前に女の子が立っていたのだ。いや、ピンク色のワンピース姿が女の子だと思わせた。
カサカサの肌にぎょろりとした目。耳辺りまで裂けた大きな口。獣のような唸り声をあげ、それは襲いかかってきた。
仰向けに倒れた俺に馬乗りになり、大きな口を開けた。無数の鋭い牙……。殺されると思った。だが、それは突如あがった銃声と共にのけぞり倒れた。
「ああ……何て事だ……」
猟銃を持った川崎さんは俺の横をすり抜け、俺を襲った何かを抱きしめて泣いている。家の奥から右肩を押さえた雅子がよろめきながら現れた。血が滲んでいる。川崎さんは怒鳴った。
「来るな!!君は外に出てはいけない!!この娘に噛まれたか引っ掻かれたのだろう!?」
「地下室から逃がそうとして引っ掻かれたわ」
「感染しているだろう。私の妻のように」
「感染?」
「妻は宇宙開発の研究者だった。月の砂に含まれていた何かに感染したんだ。そしてこの娘が産まれた。月を見てはいけない。奴らの子が宿る」
川崎さんはそう言いながら軽トラへと向かって行く。助手席に娘の亡骸をそっと横たえさせ、エンジンをかけた。俺は慌てて駆け寄る。
「奥さんは!?あなたの奥さんは!?」
川崎さんは俺を見てこう告げた。
「食われたよ。この娘に」
俺は呆然と去って行く軽トラを眺めていた。それから我に返り、雅子の存在を思い出す。振り返ると雅子は裸足で庭に出て月を見上げていた。
「雅子!!何考えてんだ!!」
雅子は虚ろな目で俺を見つめる。
「ねぇ、清彦。私が離婚した理由ね、子供ができなかったからなの。わかる?私、子供が欲しくて欲しくて仕方ないの。ね、お願いよ」
……ああ、卑怯だ。俺は観念してため息をついた。
*
「じゃあ行ってくる」
「帰りに牛乳買ってきてくれる?」
「わかった」
「行ってらっしゃい」
玄関先で大きくなったお腹をさすりながら雅子が俺を見送っている。再婚した俺達はあの家を買取り、リフォームをした。地下室もより頑丈にしてある。
これから先どうなるかわからない。
雅子には言ってないが、今から俺は猟銃所持の許可を取りに行く。
……それでもまあ、とても幸せだ。