私の大切な思い出のひとつ。
お母さんと保育園から徒歩で帰宅中、空に浮かぶ丸い月が綺麗で私は
「あれとってー!!」
と、わがままを言い地べたを這っていた。
当然、取れる訳もなく仕事で疲れて帰宅中の時、娘にそんな訳の分からない事を言われたらイライラしていたのだろう。
「いい加減にしなさい!無理に決まってるでしょう!」
声を荒らげていた。
それが取れないと言われたことや、怒られた事がまたショックで「月が欲しいの」と、また更に泣いてしまう。
「泣きたいのはこっちよ……」
泣く私の傍ら、頭を抱えながら母はそんな様な事を言っていた気がする。
そんな時だった。
「じゃぁ、お兄ちゃんが」
家の隣に住むお兄ちゃんが私の後ろから声をかけてきた。
お兄ちゃんは私の前に立つと、空に向かって手を高く月に向かって広げて「えいっ!」と言い、まるで月を握るように拳を作り、そのまま私の目の前に手を出して、私の視線が拳にいったことを確認したら
ゆっくり手を開いて見せた。
その中には金色の丸いものがあった。
「お月様をね。全て取ったら夜が暗くて困る人がいるから。これで我慢して」
お兄ちゃんはそれ手に握らせて私にくれた。
きっと手品でもなんでもない。
見えないように手に最初からそれを入れていてまるで今取ったかのようにパフォーマンスして見せただけ。
だけど、私にはお兄ちゃんが魔法使ってお月様を取ってくれたように見えたのだ。
「お兄ちゃん魔法使い?ありがとう!」
「どういたしまして」
お礼を言うと、お兄ちゃんは颯爽と走りさる。
私はご機嫌で家に帰り、それが金色の包みを被ったチョコレートと分かったのは家に帰ってからだった。
それがお月様じゃないとショックを受けたりはしなかった。
あの魔法を目の当たりにした事に感激して、それが月かどうかは私の中ではもう重要な事では無くなっていたからだ。
むしろ、そのそのチョコレート美味しさで喜び、その日からそれは私の大好物となった。
今何故、その話を思い出していたかと言うと。
私も結婚して、子供も産み、その息子が空に浮かぶ満月を見て「きれー!」と言い出し
「取ってよー!あのお月様欲しい!!」
今まさにそう言って怒り駄々をこね始めたからだ。
さすが私の子供。
発想が同じ。
だけど、あの時の母親と違い、私は困るどころかむしろこの時を待っていたのかもしれない。
幸い、例のチョコレートも今手元にある。
これは、あれをやるしかないでしょうと、高揚感がでてきた。
私はあの頃のお兄ちゃんと同じように一芝居打ちながら
あのチョコレートを子供の目の前に出した。
私もお兄ちゃんみたいに上手くできたかな?
なんて。
気分は最高潮。
だけど子供は
「違う!!これ、チョコだから!!ちゃうの!!あれぇ!」
思っていた反応とは全然違った。
あの時私はあれがチョコレートじゃなくて一瞬でも本当にお月様だと思ったから上手くいったのだ。
よくこれを食べてるのを見てる私の息子は当然これがチョコレートだと知っていたのであの時のように上手くいくはずない。
失念していた。
結果として火に油を注いだだけとなってしまった。
「ママには無理!無理だから!」
私は魔法使いにはなれなかった。
私の思い出にケチがついた様な感覚と、目の前の息子の泣き声と。
視界が少し滲んできたし、宥める手立てを無くした私は息子を抱きかかえその場を後にした。